「令和の怪物」と称され、163キロをマークした右腕にプロ野球界からだけでなく、世間からも大注目の佐々木朗希投手。
佐々木朗希投手がどのような両親の元で育ったのか気になって調べたところ、母子家庭であることがわかりました。
「なぜ母子家庭なのか?」という理由や、母子家庭となった後にどのように兄弟で支えあっていたのかまとめてみました。
大きな悲しみを乗り越えて、今の活躍があったようです。
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佐々木朗希が母子家庭の理由は?
佐々木朗希投手が母子家庭になった理由は、東日本大震災により父親が帰らぬ人になってしまったからです。
家ごと津波に流されてしまったそうです。
この頃佐々木朗希投手はまだ小学生で、父親の功太さんは37歳という若さでこの世を去ってしまいました。
もともと佐々木朗希投手の家族は祖父母、両親、兄と弟の7人家族でした。
ですが祖母と父親の功太さんは震災で帰らぬ人となり、祖父はいまだに行方がわからないそうです。
当時、母親の陽子さんは大船渡市に勤務していたため、津波の被害からは免れたようです。
佐々木朗希投手は岩手県陸前高田市に住んでいましたが、震災をきっかけに大船渡市へ引っ越しています。
母子家庭になり、母親の陽子さん、兄の琉希さん、弟の怜希さんと4人家族になりましたが、震災後はすぐに仮設住宅に入れなかったりと、大変な苦労があったようです。
被害が大きかった震災ですので、ただでさえ大変な状況だったと思いますが、まだ幼い時に大切な家族まで亡くされて本当に大変だったでしょうね。
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父親亡き後兄弟で支えた絆とは?
佐々木朗希投手は兄の琉希さん、弟の怜希さんの3兄弟です。
父親の功太さんが亡くなった後、母子家庭になった一家のまとめ役となったのは3歳年上の兄の琉希さんでした。
佐々木朗希一家。お母さん大変やったろうなあ。 pic.twitter.com/hKzTRkd2nu
— 野球を愛する人間 (@takumisan3taku3) August 31, 2019
手前から兄の琉希さん、佐々木朗希投手、弟の怜希さん、母親の陽子さん
兄の琉希さんが父親代わりとなって、佐々木朗希投手の練習などにも付き合ったようです。
兄の琉希さんは佐々木朗希投手にはかなり厳しかったようで、母親の陽子さんが見ていてかわいそうだと思うこともあったようです。
陽子さん 琉希がすごく弟の朗希に厳しく接していました。その反動で、朗希は常に兄を超えようとしていました。野球面でも生活面でも、朗希が兄から褒められたことを見たことがないですね。見ててかわいそうなぐらい朗希は、兄から言われてました。
琉希さんも大船渡野球部OBで、4番も任されることもあった。生活面に限らずプレー面でも「お前レベルの選手はたくさんいる」と褒めもせず、あえて突き放し続けた。
引用:日刊スポーツ
母親の陽子さんは家族がとても大変だった時に、兄の琉希さんが父親代わりになってくれた事について今でもとても感謝しているそうです。
そして弟の怜希さんも野球をしているそうです。
2人の兄のたくましい姿を見て立派に成長しているかもしれませんね。
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まとめ
東日本大震災によって父親を亡くし、母子家庭になった佐々木朗希投手。
とても悲しい理由で母子家庭になってしまいましたが、その後は母親や兄弟と支え合いながら苦難を乗り越えてきたようですね。
大変な時期を一緒に乗り越えてきた家族も今の佐々木朗希投手の活躍はとても嬉しいでしょうね。
父親の功太さんも天国から喜んでくれていると思います。
これからの活躍も楽しみですね!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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